ペリーヌ物語・原作

26
 ペリーヌはこれから住もうという部屋を殆ど一日がかりで掃除し、床を洗い、仕切りや天井や窓をこすった。これらのものは、家が建って以来こんなに款待されたことは一度もなかったに違いない。
 少女は、家から井戸へと洗い水を汲みに数え切れぬほど行き来しているうちに、囲いの中に生えているのは草と薊だけではないことを知った。風や鳥はあたりの庭から穀物の種を持ってきたし柵越しに近所の人は要らなくなった花を投げ込んだから、穀物の種や植物の幾つかは自分に適した土地に落ちて芽を出し、あるいは育ち、今はどうにか花を咲かせていた。その成長はむろん、庭園に植えられて、肥料や灌水や、始終世話を受けたものの成長とは似てもつかなかったであろう、しかし野生のものとはいえ、色や香りの魅力は劣りはしなかった。
 そこで少女は、この赤や紫のにおいあらせいとうや唐撫子などの花を幾本か摘んで花束を拵え、部屋に置いて、そこを陽気にすると同時にそこから厭な臭気を追いだそうと思いついた。この花は、パリカールが気に入れば食べてよかったのだから別に誰の所有物でもなかった、が彼女は鹽爺さんに尋ねないでは、どんな細枝も折ろうとしなかった。

ペリーヌ物語・原作

25
 なるほど屋根も壁も布ではなかった、が別に家馬車より増しな点はなかった。周囲には、鹽爺さんの商う雨風に当たってもいい品物、割れたガラスや骨や鉄屑が積んであり、内部は廊下も部屋も暗くてよく目が見えず、保護の必要な品物、反紙(ほぐ)や、ぼろや、栓や、パンの皮や、長靴や、古靴、こうしたパリの塵芥を成すあらゆる種類の無数の屑物が入れてあった、そうしてこれら種々の堆積は息詰まるような強い臭気を放っていた。
 この臭気は母に悪くはなかろうかと考えて少女が躊躇していると、鹽爺さんは急き立てて、
「急いでくれよ、屑広いが追っ付け戻ってくるんでな、わしはあそこにいて、持ち込む品物を受け取って、『選り分け』をせにゃならん。」
「お医者様はこの部屋を御存じですか?」と彼女は尋ねた。
「知ってるとも、侯爵夫人を看ていた時なんぞ、隣へは二度も三度もやってきたわ。」
 この言葉は少女を決心させた、医者はこれらの部屋を知っていたのであるからには、その部屋の一つを借りよと勧めたのは承知の上で言ったのだ、また侯爵夫人がああした部屋の一つに住んでいたのであるからには、自分の母もそれらの一つに住んでいけないことはない。
「一日八スウだ、」と鹽爺さんは言った、「驢馬の三スウ、家馬車の六スウのほかにな。」
「家馬車は、お爺さん買ったじゃあないの?」
「そりゃ買った、けれどお前さんたちはそれを使うんだから、払うのは当たり前だわな。」
 少女は答える言葉がなかった。こうして絞られるのはこれが始めてではなかった。長い旅の間に少女はたびたび、もっとひどく巻き上げられた。これは、持たないものの不利を顧みない持つ者にとっての自然の法則である。と少女は揚げ句の果てに考えた。

ペリーヌ物語・原作

24・・・
「ほうらねえ、お母さん。」
「よくなるようだ。」
 ともかく母のいらいらした気持ちは薄らいだ、彼女はやや平静を覚えた。ペリーヌはそれを機会に鹽爺さんのところへ行って、車とパリカールを売るのにはどうしたらよいかを相談した。家馬車の方は造作なかった、鹽爺さんが、他の品物、−−家具や着物や、道具、楽器、反物、材料、新品、古物を買うのと同様にして買い取ってくれることになった、しかしパリカールの方は、そうはゆかない。小犬以外に動物を買ったことはなかったからである。そこで、水曜日まで待って馬市で売ろうと言うのが爺さんの意見であった。
 水曜日、それはまだ大分向こうだった、なぜならペリーヌは希望に興奮し、その水曜日までに母は力を取り戻してここを立つことができると考えていたからである。しかしそうやって待つ間にも、少なくとも、二人が車を売ったお金で衣装を買い整えて汽車で旅していけることになれば結構だったし、もし鹽爺さんが高く買ってくれてパリカールを売らずにすめばなおさら良かった。パリカールはギヨ園に残しておき、自分たちがマロクールに着いたらそれを呼び寄せる。可愛い可愛いこの友達を売らずにすんだら、どんなに嬉しいことだろう! 驢馬はその後を仕合わせに、立派な馬小舎に住み、二人の主人をそばにして、一日中肥沃な草原を歩きまわれたらどんなに嬉しいだろう!
 しかし少女の頭に数秒間浮かんだ幻想は打ち消されなければならなかった、なぜなら彼女が確かめもせずに想像していた金額に反し、鹽爺さんは、家馬車とその中の一切の品物を長いこと吟味した後、十五フランしか出さなかったからである。
「十五フラン!」
「それもお前さんのためを思ってなんだぜ、どうしてくれろと言うのじゃな?」
 爺さんは自分の腕の代わりをしていた鉤で、家馬車のいろんなところを、車輪や棍棒などを叩いては軽蔑したような憐れみを見せて肩をすぼめた。
 少女がいろいろ言葉を尽した揚げ句に得たところはただ、言い値に二フラン五十を増してくれたこと、家馬車は立つまで解かないと約束してくれたことであった、そうすれば立つまでは昼間はそこで過ごすことができる、これはお母さんにとって家に閉じこもっているよりいい、と少女は考えた。
 少女は鹽爺さんの案内で、貸してやろうという部屋を訪れた時、家馬車というものがどんなに有り難いものであるかを知った、なぜなら爺さんは自慢そうに部屋のことを語るのだけれど、その自慢は家馬車に対する軽蔑と同類になるだけのものに過ぎず、その家はひどく惨めで臭いので、彼女たちはそれを借り受けるのに閉口しなければならなかったからである。

ペリーヌ物語・原作

23
「お医者さんはどうおっしゃって?」と母は問うた。
「お母さんを癒せるだろうって。」
「じゃあ早く薬屋へ行って、それから卵を二つ貰ってきておくれ、お金をみんな持っておいで。」
 しかしお金は全部でも足らなかった、薬屋はその処方箋を看て、ペリーヌをさげすむようにして眺め、
「お金は十分にありますか?」
 彼女は手のひらをあけた。
「七フラン五十ですが、」と薬屋は計算していった。
 少女は手中のものを数えた、するとオーストリアの一フロリン銀貨を二フランと見て、六フラン八十五サンチームあった、すると十三スウ足らない。
「六フラン八十五サンチームしかありません、オーストリアの一フロリン銀貨を混ぜて。フロリン銀貨はいけませんの?」
「や、そいつはいけませんな、どうも。」
 どうしよう? 少女は手をあけたまま絶望し、ぼんやり店の真ん中に立っていた。
「もしフロリン銀貨を取って下さるなら不足は十三スウだけになります。後から持ってきますわ。」彼女はついにそう言った。
 が薬屋はこうした工面のどれにも応ぜず、十三スウの信用貸しもしなければ、フロリン銀貨を受け取りもしなかった。
「規那葡萄酒は急ぐものではありませんから後程取りに来て下さい。今すぐ散薬と水薬とを拵えてあげましょう、それなら三フラン五十ですみますから。」
 少女は残ったお金で、卵と、母の食欲をそそるに違いない小さなヴィエンナ・パンを買い、ずうっと駈け通しでギヨ園に戻った。
「新しい卵よ、私、透かして見たのよ、このパンご覧なさい、よく焼けてること、召し上がるでしょう、お母さん?」
「ええ。」
 二人とも希望に満ちていた。ペリーヌは絶対の信念に満ちていた。医者は母を癒すと約束したのであるからには今にその奇蹟を成し遂げるのだ、どうして自分を騙すはずがあろう? 医者というものは、本当のことを聞かれたら本当のことを答える筈である。
 希望は大変食欲をつける。二日前から何も採られなかった病人は、卵を一つと小さなパンを半分食べた。

ペリーヌ物語・原作

22
 ついに馬車部屋の戸が開いて、黄色い車体をした旧式な二輪馬車を大きな労働馬が曳いて出てきて邸前に位置を占めた。まもなく医者が現れた。背の高い、でっぷり肥って赤ら顔で、顔のまわりに白い鬚の生えた人だ、田舎の長老といった風采に見えた。
 医者が馬車に乗らないうちに、少女はそばへ行って願いをのべた。
「ギヨ園か。殴り合いのあったところじゃのう。」
「でも先生、お母さんが病気なのです、大変悪いんです。」
「おまえのお母さんは何をしておる?」
「私たちは写真屋なのです。」
 医者は踏み段に足をかけた。
 急いで少女は四十スウの銀貨を差し出した。
「私たちはおあしを払います。」
「三フランじゃが。」
 少女はその銀貨に二十スウを足した、医者は全部を受け取ってチョッキのかくしに入れた。
「これから十五分したらお前のお母さんのところへ行く。」
 少女はいい知らせを持ってゆくのが嬉しくて、駈けて帰った。
「あの人がお母さんを癒してくれる。あの人、本当にお医者さんだ。」
 急いで少女は母の世話をし、母の顔を洗い、手を洗い、黒い絹のような見事な髪を整えた、次に家馬車の中を片付けた、そのため、家馬車はいっそうがらんとなり従っていっそう惨めになるばかりであった。
 少し辛抱して待っていればよかった、馬車の音で医者の来たことが分かった、ペリーヌは駈けていった迎えた。
 医者は、入って家の方へ行こうとしたので、彼女は家馬車を示した。
「私たちは、車の中に住んでおります。」
 この家は一向人の住まいらしくはなかったが、医者は、そのお得意先のどんな貧乏にも慣れていたから何も驚いた様子を見せはしなかった。しかし医者を見ていたペリーヌは、医者がこの剥き出しの車の内で布団の上に寝ている病人を見た時医者の顔に雲のようなものの浮かぶのを見とめた。
「舌を出して下さい、手を貸して下さい。」
 四十フランとか百フランとか払って医者に来てもらう人々は、貧乏人に対する診察がたちどころに済むことを、一向に知るまい。医者の診察は一分もかからなかった。
「これは入院しなければならぬ、」と医者は言った。
 母と娘とは同じ恐怖と苦痛の声を上げた。医者は命令の口調で言った。
「お嬢さん、ちょっとあちらへ言っていて下され。」
 ペリーヌは一瞬ためらったが、母に目顔で促されて馬車を出た、けれど遠くへは行かなかった。
「私はだめなのでしょうか?」母は低い声で言った。
「そんなことは誰も言いはしませぬ。ここでは受けられぬ手当をお受けになる必要があると申しますんで。」
「病院に娘を連れてゆけましょうか?」
「お嬢さんは、木曜日と日曜日に面会できます。」
「別れ別れになるなんて! あの娘は私がいなくなったらパリでひとりぼっちで、どうなることでしょう? 娘がいなかったら私はどうなるでしょう? もし死ななければならないのなら、どうしてもあの子の手を取って死にます。」
「いずれにせよ、あなたをこんな車の中に置いておくわけにはゆかぬ、夜の寒さは生命に関わりますからな。間借りをしなければならぬが。それができますかな?」
「長い間でないなら、たぶんできるでしょう。」
「鹽爺さんは高くない部屋を貸してくれますじゃろう、が部屋だけではいかん、薬に、よい食べ物、それから看護がいる、病院ならそれがあるが。」
「先生、それはだめです、娘と別れることはできません、娘はどうなるでしょうか?」
「いずれなりと御自由に。あなた方のことですからな、私は私の申し上げなければならぬことを申し上げましたので。」
 彼は呼んだ。
「お嬢さん。」
 次に医者はかくしから手帳を取り出して白い紙の上に鉛筆で二、三行書いて、それをちぎった。
「これを薬屋へ持って行きなさい、他のところはいかぬ、教会堂のそばの薬屋じゃ。一番の散薬をお母さんに上げなさい、二番の水薬は一時間毎に飲ませるのじゃ、食事中には規那葡萄酒を。お母さんは食べないといけないからな。何でも食べたいものを、とりわけ卵を上げなさい。私はまた夕方に参りましょう。」
 少女は尋ねるために医者についていった。
「お母さんは大変お悪いのですか?」
「入院を決心させるよう努めなさい。」
「先生は癒すことがおできにならないのですか?」
「できようとは思うがのう、しかし病院でやるようには看てあげられぬ、入院せぬのは狂気の沙汰じゃ。お母さんはあんたと別れたくないから厭だといわれるが、あんたは大丈夫じゃろう、利発な、はきはきした娘らしいからの。」
 彼は急いで歩いて馬車のところまで来た、ペリーヌは彼を引き留めて、話をさせたかった、しかし彼は乗りこんで車を出した。
 そこで彼女は家馬車に戻った。
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