原作の紹介

31・・・
 しかし驢馬は何も知らず何も予感しなかった、そうして休息や、よい食べ物や、主人の愛撫など、現在の満足のうちで、世にも仕合わせな驢馬であった。その上、驢馬は鹽爺さんと仲良しになり、鹽爺さんから、自分の食いしん坊にとって嬉しい友情の印を貰ったのである。月曜日の朝驢馬は、うまい具合に綱を解くことができたので、届いた屑をせっせと選り分けている鹽爺さんのそばへ行き、珍しそうにそこに立っていた。大体鹽爺さんが、一杯飲みたくなった時−−しきりに飲みたくなる爺さんであったが−−そんな時立たないですむように葡萄酒の一リットル壜とコップを手の届くところにいつも置いておくということは、きちんと実行されている一つの習慣であった。その朝鹽爺さんは全く仕事に身を入れて、自分の周囲を見ようなどとは考えなかった、しかし仕事に精を出し熱を込めたまさにその為に、その渾名の通り、まもなく咽喉が渇いてきた。手を休めて壜を取ろうとして見ると、パリカールが頸を差し伸べて、じっとこちらに眼を注いでいる。
「そんなところでお前、何をしてやがる?」
 それが怒鳴りつける調子でないので驢馬は動かなかった。
「やい、葡萄酒を一杯飲みてえのか?」と鹽爺さんは尋ねた、この男の頭はいつも、飲むという言葉を巡って働くのが常であった。
 そこで爺さんは、満たしたコップを自分の口へ運ぶ代わり、冗談にパリカールに差し出した、するとパリカールはこのもてなしを真に受けて、二歩前へ進み、唇をできるだけ薄く、できるだけ伸ばして、なみなみと注いだコップを半分も吸ってしまったのである。
「おほう! これは、これは!」
 鹽爺さんは大声で笑いながら叫んだ。

ペリーヌ物語・原作

30・・・
 火曜日の朝医者が来た時、処方箋に対して少女の心配していた事柄は事実となって現れた。医者サンドリエ氏は病人を急いで診た後、ペリーヌの大きな苦悩の種である恐ろしいあの手帳をかくしから取り出して書こうとしたのである、が、医者が鉛筆を紙の上につけた時彼女は勇気を出してそれを止めた。
「先生、もしお薬の中に比較的大切でないのもあるのでしたら、今日は差し迫って必要なものだけを書いて下さいませんでしょうか?」
「それはどういうことですかな?」と医者は不満気な調子で聞いた。
 少女はふるえた、が最後まで言い通すことができた。
「と申しますのは、私たちは今日はお金が余りないのです、明日にならないと、入ってこないのです、それで・・・」
 医者は少女を見た、次に彼女たちの貧乏を初めて見るかのように、あちらこちらすばやく一瞥した後、手帳をかくしにしまいこんだ。
「では治療法を変えるのは明日にしよう、何も急ぐことはない、昨日のを今日もずっと続けてよろしい。」
「何も急ぐことはない」、この言葉をペリーヌは記憶にとどめて幾度も自分に繰り返してみた。急ぐことがないのはお母さんが思ったほど悪くないからだ、してみればまだ希望し期待することができる。
 水曜日は少女の待っていた日だ、しかしその日の待ち遠しさには、その日を恐れる彼女の苦しい気持ちがずっと流れていた、だってその日、お金は入るから彼女たちは助かるに違いないにしても、他方では、パリカールと別れなければならないからである。そこで少女は、母の看護の手のすくごとに、囲いの中へ駈けていって彼女の友達に言葉をかけた。驢馬は、もう働くこともなく疲れることもなく、ひもじい目に逢った後今は思う存分食べ物もあるので、それまでになく嬉しそうであった。少女のやってくるのを見るや否や、ギヨ園の小屋のガラスをふるわせて五、六度いななき、彼女がそばへ来るまで、綱をぴんと引っ張っていく度か跳ねた、しかし彼女が背中に手を置くとすぐおとなしくなり、頸を伸ばしてそれを彼女の肩に乗せるともう動こうとしなかった。彼らはじっとそうしていた、−−彼女は驢馬を撫でながら。驢馬は話をするような拍子で耳を動かせ瞬きをしながら。
「おまえが知ったら!」少女はそっと呟くのであった。

ペリーヌ物語・原作

29
 火曜日の朝医者が来た時、処方箋に対して少女の心配していた事柄は事実となって現れた。医者サンドリエ氏は病人を急いで診た後、ペリーヌの大きな苦悩の種である恐ろしいあの手帳をかくしから取り出して書こうとしたのである、が、医者が鉛筆を紙の上につけた時彼女は勇気を出してそれを止めた。
「先生、もしお薬の中に比較的大切でないのもあるのでしたら、今日は差し迫って必要なものだけを書いて下さいませんでしょうか?」
「それはどういうことですかな?」と医者は不満気な調子で聞いた。
 少女はふるえた、が最後まで言い通すことができた。
「と申しますのは、私たちは今日はお金が余りないのです、明日にならないと、入ってこないのです、それで・・・」
 医者は少女を見た、次に彼女たちの貧乏を初めて見るかのように、あちらこちらすばやく一瞥した後、手帳をかくしにしまいこんだ。
「では治療法を変えるのは明日にしよう、何も急ぐことはない、昨日のを今日もずっと続けてよろしい。」
「何も急ぐことはない」、この言葉をペリーヌは記憶にとどめて幾度も自分に繰り返してみた。急ぐことがないのはお母さんが思ったほど悪くないからだ、してみればまだ希望し期待することができる。

ペリーヌ物語・原作

28
 病人の眠りは、苦しい、熱のある、不安な、騒がしい、幻覚の襲う眠りであった。そうして翌朝医者が来てみると容体は悪化していたので治療法を変えることになり、ペリーヌはまた薬屋へ行かなければならなかった。今度は五フラン要求された。彼女はためらわず勇敢に支払った、しかし帰り彼女はもう息がつけなかった。もし費用がこんなふうにして続いたら、可哀そうなパリカールを売ってお金を手に入れる水曜日までにどうなることだろう? もし医者が明日もまた五フランあるいはそれ以上かかる処方を言いつけたら、そのお金をどこに見つけよう?
 両親と山間を歩きまわっていたころ、彼らは一度ならずひもじい目に逢ったし、ギリシアを離れてフランスへ向かった後もまた一度ならずパンに欠乏した。がそれとこれとは同じことでない。山間では飢えてもいつも希望があり、果実や野菜を見つけたり、おいしい食事を与えてくれる鳥獣を捕らえたりして、希望はたびたび実現した。欧州でパンに欠乏した時も、彼らは幾スウかで写真を撮らせてくれるギリシアのお百姓、ボスニア人、スチリア人、チロル人に逢う希望があった。しかしパリでは懐中無一文の人々は何も当てにするものはない、そうして彼女たちのお金はなくなりかけていた。さあ、どうしたらよいか? 恐ろしいことだ、少女は何も知らず何もできないのに、この問いに答えなければならなかった、怖いことだ、少女は万事の責任を負わなければならなかった、なぜなら母は病気の為に工夫をめぐらすことができず、こうして自分こそ、ほんの子供だと思っていたのに、事実上の母となっていたからである。
 それも病気の具合がもう少しよければ彼女は勇気も出るし、力もついたことであろう、が具合はよくなかったのである。お母さんは決して泣き言は言わず、それどころか、いつも口癖のように「よくなるよ」と繰り返したけれど、実は「よくなってはゆかなかった」とペリーヌは見ていた。眠りもなく食欲もないのだ。熱、衰弱、息苦しさ、これらのものは、もしペリーヌの愛情や弱気や無知や臆病などがその判断を誤らせなかったとするならば、少女にとっては、ずんずん増してゆくように思われた。

ペリーヌ物語・原作

27
「売るのかい?」と爺さんは答えた。
「少しばかり部屋におきたいんです。」
「それなら好きなだけ採るがいい。もし売るんならまずこのわしがお前さんに売るからな。自分のためなのなら遠慮しねえがいいよ。お前さんは花の匂いが好きかい、わしは葡萄酒の匂いが好きじゃ、匂いだけしかない時でもな。」
 大きく小さく色々に割れたコップは山と積まれてあったから、彼女はそこで欠けた壺を難なく幾つか見つけ、それに花束を差した。花は日向で摘まれたから、まもなく部屋はにおいあらせいとうや唐撫子の匂いに満ち、その鮮やかな色が黒い壁を照らすと同時に匂いは家の厭な臭気を消した。
 そうやって働きながら少女は両隣に住む人々と知り合いになった。それは白髪頭に、フランス国旗の三色のリボンで飾った頭巾をかぶったお婆さんと、大変長くて広い一張羅の着物であるらしい革の前垂れに身をくるんだ、腰の曲がった大きな爺さんであった。この前垂れのお爺さんに聞くと、三色リボンのお婆さんは街の歌うたいで、鹽爺さんのいった侯爵夫人その人であった。このお婆さんは毎日、赤い傘と太い杖を持ってギヨ園を出かけ、街の辻や橋のたもとで赤い傘をその杖の先に立て、その蔭で自分の歌の番組をうたい、その歌集を売る。前垂れのお爺さんの方は、侯爵夫人の教えてくれたところによると、古靴のほぐし屋で、朝から晩まで魚のように黙りこくって働くのでそのため黙り屋さんと呼ばれ、皆はこの名前でこの人を知っていた。が、口は利かなかったけれど、鎚の音を聾になるほどやかましく立てることは一向遠慮しなかった。
 夕方引っ越し先の片付けがすんだので、少女はお母さんを連れてきた。お母さんは花を見て、しばし楽しい驚きにうたれた。
「お前はなんてお母さんに親切なのだろうね!」
「私は自分に親切なのよ、お母さんを喜ばせると、私が嬉しいんですもの!」
 夜の更けないうちに花は外に出さなければならなかった、すると旧い家の臭気はひどくなった、が病人はそれに不平を言わなかった、不平を言って何になったろう、ギヨ園を出たとて、ほかに行くところはなかったのであるから。
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